9/29/2015

Apple IIIの失敗

Iの後がIIだったら、その次がIIIなのは当たり前だ。なのにApple IIIについては、ほとんど情報がなかった。 昔、雑誌の記事で写真だけ見ていた自分は、どうしてApple IIIの情報が少なく、失敗したのか不思議に思っていた。

モーリッツの「アメリカン・ドリーム」にApple IIIの失敗について詳しい記載がある。 アップルIIは、電源とケースを除くとほとんどウォズが一人で創り上げたものだ。しかし、 Apple IIIは、株式を公開して億万長者があふれたアップル社による、最初の開発製品となり、 それが不幸の始まりだった。経験がないまま、性急なスケジュールがたてられ、設計は「集団合議制」で行われた。 「アメリカン・ドリーム」では、もっともひどいとばっちりを受けたのは出版部だったと書いている。

テクニカル・ライターたちは、技術研究所サイドからの設計変更とマーケティング部からの厳しい出荷要求との間で、苦しい板ばさみになっただ。 ライターたちは、アップルIII発表のやっと九週間前になって実物を見せられたので、締切までに余裕がほとんどなく、書き上げた取扱いマニュアルと 完成したコンピュータとをつき合わせる作業はほとんど無視されてしまった。

開発自体については、できるだけ社内で開発しようとしたが、技術情報が外部にもれるのをおそれるあまり、「独立したソフトウェア会社が アップルIII用のプログラムを開発するのはほとんど不可能」という滑稽な状況になっていた。「系列会社のビジコープ社にさえも、 ビジカルクのデモ用プログラム作成を依頼する書類をつけて、アップルIIIの試作機が届けられたのは、発表のたった二週間前だった」という。

それでもなんとか製品ができて、発表会が開催されたが、その内容がすごい。

アップル社は、ディズニーランドをひと晩借りきり、二万枚の無料入場券を配り、赤い二階建てバスを何台も借り上げて、相愛客を選んだ。

結果は悲惨なものだった。

設計に問題があって、コンピュータが本体に収まらなくなってしまった。このため、主プリント回路基板の上に、不格好な基板をもう一枚載せねばならない 羽目になった。(中略)プリント回路基板の配線と配線の間が狭すぎて、ショートした。(中略)チップがソケットがはずれたり、キーボードの配線が短すぎたりした。

最終的にはちゃんとした製品になったものの信用は損なわれてしまい、発売してから三年後、65000台しか売れなかったという。 とてもジョブズがいた会社で起こったこととは思えないが、ジョブズはこの時の教訓から多くを学んだのだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿